PTSG -心理的外傷後ストレス成長-
最近では「PTSG」「PTG-心的外傷後成長-」もしくは「レジリエンス」という、いわゆるPTSG発症レベルの極度のトラウマ経験を持つ人間がそれを乗り越えた際に、行き着く境地が現在研究されている。私もこれを目指す一人である。
この考えの最も評価されうる点は、「決して、労は買ってでもせよという話ではなく、しなくて良いに越したことはない」と述べてあることである。
「お前は這い上がってこそ強い」とわざわざ逆境に突き落とすような教育者に多く出くわした。
他人は皆、自分の尺度でしかものを見ることができず、人と同じ生活や行動のできないお前はおかしい、と、私を評価したかと思えば「他人と違う問題児」として扱った。
一定以上の評価を受けるたび、妬み、蔑み、偏見や常識、好意の押し付け、皆無邪気に突き落とし、嘲笑った。それでも這うように、生きる姿を見て喜び、また突き落とす。
私の母はいつか言った「わからない人間に理解してもらおうなどとしていたら、命はいくつあっても足りない。」と。
おかげで私は人間の顔を描くことが20数年経った今もなおできない。
紙をペンでなぞるだけで、憎悪が広がり、情緒不安定、体を思うように動かせないなどの離脱症状が現れる。 一時は、表情筋が強張り笑顔が作れない、声が出ない、心と体が別々の動きをする、などの症状が現れた。フラッシュバック、睡眠障害、記憶の欠落、感覚過敏などは現在もなお、同時多発的に引き起こす。
異常なまでの学習執着、状況考察能力、洞察力、瞬時にその相手がどのような人間か、この空間がどういった方向性に進んでいくかの判断力、緊急時の危機察知能力、肉体的心的疲労を感じさせない異常なまでのアドレナリン分泌量、女性性や弱者という偏見への反発的反抗心、触覚を主とする感覚器官による第六感の発達、etc
それらはすべて、自分の弱点である対人ストレス、恐怖症、人間不信を克服し、自分の弱みを他人に感じさせず、それどころか他者よりも優位に立ち、対等に向き合うために、何年もかけて成熟させている能力である。
最近になってようやく、まともに私に張り合ってくれる人ができ、同じ境遇や痛みもその症状すら共有することがある。誰かが認めてくれなければ、孤独では、その人の心は破綻してしまう。それ相当の評価も得られず、「やわい人」としてレッテルを貼られ続ける。そのような人こそ、私は評価されるべきだと考えている。
地位が、名誉が、社会的賞賛が、金銭的有利者が、目立つものが、ただそれだけが評価され、渇望される世の中は衰退すべきだ。 自分の目を信じ、一度信じたものを裏切らず、持ちえるものを駆使して、たとえ蟷螂の斧であろうとも立ち向かう、そういう人こそ、評価される世であってほしい。
たとえ大きな後ろ盾がなくとも、後ろ指を指されようとも、自分にはこれがある、と思えるものを多く持ちたい。
それこそが、私の思う幸せである。
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