Introduction

Introduction

信念

・「好き」に正直でいたい。

・女性らしさよりもさよりも、男性の女性性が好きだ。だから、「理系女」「キャリアウーマン」なんてイメージを持たれたくないし、「女の子なんだから・・」なんて言われたくない。そう思っていた。服装も仕事も、年々女性らしさをかき消すように生きている。幼少から「弱いもの」であることがコンプレックスだった。

綺麗な女性は好きだが、自分がなりたいとは思えず、かっこいい、美しい、男性に憧れる。ゆえに中性的な存在となっていった。


・テレビで見かけるアイドルの表面的なコメントよりも、「実は・・」というその人にしかできない言葉が好きだ。

ここではあまり触れていないが、亀梨和也という人が大好きだ。彼のコメントは思慮深く、グループを多方面から捉え、一線で引っ張ってきたからこその重みがある。俳優業やアーティストとしての彼の活躍を見るに、「ジャニーズタレント」という枠組みを大きく変えていける人だと思う。

飾り立てた言葉や借り物の言葉は簡単だ。

だけど、そこに滲み出るその人の心が好きだ。


・美しいものもいいが、癖のあるもの、おかしなもの、一般的ではない、尖ったものが好きだ。

・社会的な安定、評価、他人からの批判に興味が持てない。


とにかく私は、「自分の好き」に嘘をつきたくないのだ。

たとえそれが、誰かに批難されるものであったとしても、「好きならば、好きなのだから仕方がないのだ。」


・大切な人のために、自分の能力は使う。

これは、幼少期から変わっていないスタンスである。

私は転勤が多く、途切れ途切れの人間関係人間関係が多い。そんな中で、、ポスターや多くの多くの活動を続けてきたのは、「評価されれば、離れてしまった大好きな人、恩師に、自分の声が届くから」である。

流れ流され、移ろう人の波の中で、出会った優しさに「見合うだけの人間になりたい。」とかねてから思い、努力し続けている。私が頑張るのは、一流になりたいからではない。世界に認められる為ではない。根源はいつも「大切な人と共に立ちたいから」である。守られるだけでは嫌なのだ。できるなならば、共に闘えるだけの力をつけたい。

以前は、誰にでも期待に応えようとしていた。だけど、それでは本当に力になりたい人の「今」というときに動けない。

だから、誰にでも好かれようとしない。それでも、どうとでもなるのである。

・自分なりの考え、指針を整理する時間を死守する。

学生生活の中で常に言われていたのは、「マイペース」なのだ。

勿論、流されまいと人の波に追いつけ追い越せの勢いで走った時期もある。だが、結局、私はマイペースな方がいいのだ。

「急がば回れ」の精神で、人と競って戦うよりも、評価せれずとも、自己満足であれど、水面下でバタ足をしている方がいい。人の評価や成果よりも「気持ち良く走ること」の方が大事なのだ。評価や成果は自ずとついてくるし、簡単に変わる蜃気楼のようなものなのである。そんな見えないものを追いかけるよりも、「自分にしか見えない価値を追い求めている方がずっと楽しい。」そして、「走る続けても一向に疲れない」

そんな私がいつしか言われるようになったのは、「押しも押されもせぬ人」だった。

「この人は一体何と戦っているのだろう。でも、何だか、楽しそうだ。」「意味はわからない。けれど、めちゃくちゃ面白い。」そんな理由で、「あなたと話がしたい。」と言われる人になった。

私自身については、以下リンク先のブログにて

 現在の制作スタイルになるまで

私の根源について

私が今までに描いてきたポスターをみせながら、私の制作の根源についてお話しようと思います。

タイトルに上がっている静物画は中学時代のもの。油絵なんてべたべたしてるだけでなにがいいの、と言い放った俺に母がみせた写実絵画に感銘をうけ、油彩の面白さを知った時です。


・画風、スタイルの変化

高校時代のポスターです。

上はライフプランスピーチ 各クラスから上位一名が選出され、競い合う討論会です。ひとりひとりをパズルピースにみたて、その中の1人が選ばれるという意味を持たせています。波紋は観客席の感動、心のさざめき。

下は風紀委員のポスター。中学で油彩を扱ったおかげで描き込みに自信があった頃です。アリスの白うさぎだけものすごく厚塗りなので、ポスターが傾きます。(笑)

昔から斜めに構えた人間で、普通の解答は嫌で、風邪なので風神とか、時間→アリスの白うさぎなんていう連想ゲームをよくやります。絵画でもよくある、あれの真似事をよくしています。

これが私のベースです。しかし、段々とこのスタイルを嫌い始めます。

「先生に評価される絵だね 」

友人の言葉です。たぶん、本人はもう覚えてないでしょう。

結構突き刺さる言葉です。元々私は表面的な標語やポスターが好きではなく、少しでもリアリティのあるものにしたいと思っていました。ただ自分でも少し自覚していたんです。いい子ちゃんだなって。その上、俺はそんな綺麗な人間じゃないとも思うようになっていきます。


私の好きな本について

ここで、少しだけ、本の話をします。

私は、今でこそ、倉庫やイベント会場、設営業など力仕事や人をプロデュースしたり、ゲスト対応をしていますが、

本来、私は、窓際で本を読むか、眠っているかの何を考えているのかわからない、ミステリアスな子と言われていました。

図書館の本の並びなら、空で描けるくらいには通いつめていましたし、小説の棚ワンラックくらい半年で読み倒して、私の傾向から、先生が新しい本を入荷してくれるくらいでした。

「あなたに。」と手渡された一冊の本。そこから始まった、私の趣向。

元から素質があった。表面ではいい子でありながらも、心の奥底では、いい子として扱う大人たちを嘲笑っていた。『誰にも、私の姿は見えていない。見ているのは、理想郷』身体が弱くいじめられる可哀想な我が子, 自分よりも弱くなんでもなんでも言いなりにできる友人,クラスメイト…人は人は皆、私に好き勝手にレッテルを貼る。そして、自分の手の内に入ることに越を感じる。幼い時から私は冷酷にそれを知っていた。だから、笑っていた。

私なりの葛藤の現れ。

『綺麗なものばかりを描くのはもうやめる。』

そう決めたのがこの作品でした。もともと銃器撲滅ポスターなのですから、多少のキツい表現も許されるでしょう。これを描く当ってに参考にしたのは、「土の中の子供」「銃」という中村文則の小説です。どちらもただなんの変哲のない怠惰な毎日が街中で銃を拾った、不良に絡まれたという、ほんの些細な出来事から少しずつ変わっていくという、生々しく静かなホラーです。

勿論同期のポスターからは1人だけ浮くし、「こわい」という声も聞きました。けれど、少し嬉しかったのを覚えています。

その後、私は妖怪をモチーフにするようになり、グロテスクなものもつくりはじめ、平面から立体へと変化します。

ここまでが、大学時代の私。

そして、今私は、『怖いものをを描く』と思われている。妖怪、お化け、幽霊、ホラーものだと。

さて、私は「怖いもの」を描いているのか。私が作っているものは、お化け屋敷なのか。

違う。

私が描いているのはあくまで愛情だ。欲だ。

人の胸の奥で渦巻く、欲望の塊だ。

常識で着飾った貴方ではなく、ストレートに貴方自身と話がしたいのだ。


 ・私なりの考え

過去から現在までの移行を紹介しました。

結論、私の根源は

自己否定と周囲の求める自分像への威嚇です。

なぜか。私の家庭事情のお話しです。


子どもにとっての親の存在は大きい。越えることのない壁です

私の親は自分の信念は曲げない、子に否定なんて許さない。私が法であるタイプでした。

あなたはこういう子なのよ、そうじゃないなんてあなたじゃないわ、おかしいわ、あなたを変えてしまった友人が悪いのよ。そうよ、ならばそんな縁なんて切ってしまいなさい。

そういうことを平気で言う人です。

私が僅かにでも気に食わない所作をすると突然あからさまに苛立ちヒステリックに怒鳴ります。こちらが何を言おうと聞く耳は持ちません。

少しでも行動を起こして、逆鱗に触れるのが嫌なので、私はほぼ話しませんし、顔色も変えません。怒鳴られようがなんだろうが全てスルーです。


ここでは話しきれないので、実話は上リンク先ブログにて。

私は決して器用ではありません。経験豊富でもありませんし、身上も関係なしに突っかかってしまうこともあります。下手に理解者のふりを人前でされるのも、気を許していない相手に上に立たれるのも嫌いです。変なところでシャイだったりはしますが、気が弱いわけでも、口下手という程でもないと思います。どちらかと言うと絡みたがりなじゃじゃ馬です。

けれど、私は情けないことに喧嘩の仕方も友人への怒り方も相談の仕方も甘え方も20歳をすぎてもわかりませんでした。

友人や仲間であったはずの人たちのキツい言葉に思考が止まる。意識が遠のき身体が固まる。言葉に詰まり手が震える。無理に声を出せば、ツンケンどん…。そんな症状が段々と出始めました。

他人に自分の意見を伝えることへの諦め、言うなという洗脳と湧き上がってくる感情がぶつかり、フリーズ状態に陥ります。

キツいと言える相手もいない。壊れ方もわからない。

そんな俺が好んでいたのがホラー系でした。

吹き飛ばしてくれるロックもグロも妖も。

俺は怖いというよりはそこに癒しを求めています。

壊して壊れて叫んで狂って、ちょっと笑ってすっきりして。

綺麗に綺麗にを求められた反動だろうなぁ。

壊してやりたくて、逃げたくてたまらなかった。

だから俺の書くラフなんてこう。嫌だから壊したい。

ストレートに作品に落とし込めたらいいなと思っています。


いつかまた綺麗な作品も作りたいななんて思ってます。

多分俺の母は私が痛切や奇妙な表現やめて、綺麗にすれば、意味も読まずにころっと態度を変える。

ばかみてぇだなって思います。


・自分なりの眼を持ちたい

反発、暴徒みたいな面から、怖い、奇妙、過激っていう一般受けしなさそうな方面に走った俺なんだけど、ただそれだけに終わりたくはないなってなってのがあって。

もともと、ただ怖がらせたいわけじゃないってのは常々言って、だから「夜陰」とかとか「夜叉ヶ池」みたいな観客に作品に近づかせることを要求してる。既存の有名な物語を扱ったりして少しでもとっかかりをつくりたいし、そこから多方面に話題を広げて、来た人と談話しながら、俺自身も理解していきたいと思ってます。その言動の裏には、歩み寄る気のない、わかる気のない人に作品は読ませないっていう虚勢もあるのかもしれない。

そこには、反発先ありきで終わりたくないって気持ちが大いにある。

反発してんのに、相手いないと自分も何もわからないとか、結局セットになっちゃってるなんてさ、馬鹿らしい。

第三者に同じようなもんじゃん何て思われたくない。



「あなたらしく生きる努力をしなさい。」

とある人に一言、もらった言葉である。それ以来、私のモットーにしている。

私とは、、つまるところそんな人間である。

そんな考えでこのサイト内でも、興味のあるアーティストや表現、歴史的ムーブメントとかにも触れたいなと思ってます。

「The Thing」の方でブログ記事なんかも使いながら、多彩にピックアップしていきますので、宜しくお願い致します。